楽天命 〜原点への回帰〜

 弊社に、木桶仕込みという選択に気付かせてくれた米国人女性、セーラ・マリ・カミングスさん(桝一市村酒造取締役)に、まずは感謝を申し上げなければなりません。
 木桶でもって酒を仕込む。−当初は懐古的な伝統の復活とも思われたこの着想は、繰り返し考えるうちに、次第にその深い意味が現れてきました。

 木の大桶の誕生は、室町時代までさかのぼります。室町時代の日本の傑出した木工加工技術が、当時の世界に例のない大桶の製造を可能ならしめました。これによってそれまでの甕(かめ)とは比較にならない量の酒の醸造が可能になり、酒が単なる自家消費用だけでなく市場へと登場するようになるのです。酒は市場でもまれることによって初めて洗練され、世界に誇りうるレベルへ発展を遂げていったという風に私共は理解しています。だとすれば、日本酒が土着の酒から文化的な酒へと離陸をとげる重要な契機となったのが大桶の誕生であり、木桶には単なる郷愁で済まされぬ歴史的意義を感じます。 私共にとって決定的であったのは、2001年秋、フランスのブルゴーニュで、世界中の醸造家の尊敬を集めるドメーヌを訪問した折の体験です。その酒蔵に見られたのは、今も現役で使われている木桶が壁沿いに並ぶだけの、実に簡素な光景でした。この木桶から世に名高い名酒が誕生しているのだ、と強い印象を受けたのが昨日のことのように思い出されます。
 つまり、日本で誤解されているのと異なり、桶仕込みとは過去のプリミティブな製法という訳ではないのです。近代化の過程で多くの日本酒は、酒造りにおける不可知の部分を排除し単純化することで、制御しやすいきれいな味わいを獲得してきましたが、その代償として多くのディテール、名状しがたい味わいの深さを失いました。そのような趨勢から距離を置き、伝統的な造りの価値を誰よりも理解していると自負していた弊社にしても、こと木桶となると、より良い味わいを得る手段として意識したことは一度もありませんでした。木桶は過去の技術なのではなく、現代の最高の醸造家たちが現に選択している生きた技術なのだということを目の当たりにして、生もと造りの弊社こそ、率先してそれに取り組まなければならないという使命感が、改めて芽生えました。

 日本では、戦中戦後の物資不足の中、原料の有効利用という国策によって、お酒の欠減が多くなりがちな木桶は琺瑯タンクなどに転換されていったと言います。当時の蔵人たちが「こんな薄っぺらな琺瑯タンクで、どうやって今までのような酒が造れるだろう」と不安がったという先代社長の思い出話は、それから半世紀たった今日、非常に新鮮に聞こえました。なぜなら、時代は変わって現代の蔵人たちが感じる不安は、全く逆に未知の木桶に対して向けられていたからです。
 「何も心配することはない」という先代社長の言葉は、やがて実際に木桶仕込みを行った時に実感いたしました。もともと木桶は酒造業において室町以来もっとも使用実績のある“証明済みの”道具であり、幾多の偉大なお酒がそこから生まれてきているのですから。

 この日が来ることを予感してか否か、大切に保管されてきた半世紀前の木桶たちが、倉庫から出る日がやってまいりました。桶職人さんの仕事場へと運ばれていき、ひと夏かけて桶職人さんが手入れした大桶は、そのまま冬を待ち、冬季に刈り取られた青竹によってきりりとタガを巻かれます。これが再び大七の酒蔵に納められると、今度は蔵人の手によって洗浄、お湯張りと、幾通りもの手入れが重ねられていきます。
 こうして造り手と道具との親密な関係が醸成されていくのです。やがて蔵人たちから、自分たちが夏のあいだに会社の田圃「無天田」で育てた米は、是非この木桶で仕込みたいという申し出がなされるに至りました。道具への信頼も、ここに極まれりというべきでしょう。

 木桶で仕込んだお酒の、独特の上品さ、彫りの深さ、味わいの凝縮感、そして風味の自然な伸びやかさ。そのどこまでが木桶という材質に由来するものなのか、どこからが他の要因の影響によるのか、私共もまだ特定するには至っておりません。上槽した直後でも意外なほど粗さが少なく、始めから完成度が高く思われるのは、稠密でなめらかな酒質によるものです。おそらくは木肌を介して、発酵以外の反応が進行したり、酵母以外の微生物が関与したりして、酒質を複雑に豊かにしているのでしょう。先人たちはこの効果をも織り込んで酒を醸していたはずです。私共は吟醸酒ならざる高級酒、という分野が形成できる、しっかりした手応えを感じることができました。
 小細工をせず、自然な微生物の働きに任せて堂々と造り、飲み頃の時期が来るまでじっくり待つ、という姿勢で臨んだ「木桶仕込み・生もと純米酒」は、懐古的な味とも珍しい味とも違う、正しく大七の味わいです。このお酒に取り組むこと自体に、造り手として大きな喜びがありました。私達はこの酒に、楽天命−天命を楽しむ、と名付けました。

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