妙花闌曲〜最高峰への挑戦〜

 今までの全ての酒を乗り越える酒を造ろう、もう一度、我々にとって最高の酒とは何か、一から再構築しよう、という決意を固めたのは1999年のことでした。新しい千年紀を目前にして、今一度挑戦者として、新たな大きな目標に取り組まなければならないと感じたのです。
 当時、弊社最高峰の座にあったのは「大七 生もと大吟醸・極上生一本(生もと純米大吟醸・雫原酒)」。これは5年間に渡る困難な試行錯誤の末、昭和63醸造年度に、日本で唯一の生もと造りの純米大吟醸として完成したものです。当時は生もと造りの吟醸酒は市場に存在しておりませんでした。大吟醸の華やかさと、生もと造り純米醸造ならではの力強さを併せ持つ、日本で初めての美酒を造りたいという私達の願いは、市場に出せない5年間の山のような試作を経て、ついに平成元年の春、わずか158本に結実しました。それ以来このお酒は大きな反響を呼び、2001年には生もと造り純米醸造では史上初の、全国新酒鑑評会金賞受賞も成し遂げています。

 さて、私達が乗り越えようとしているのはこのお酒です。既に可能な限りの努力を尽くしている酒を、どうすれば乗り越えられるのか?まだ何かやり残していることはあるか?そしてその酒は、どんな酒でなければならないか?考えるべき事柄はたくさんありました。既存の目標に向かってがむしゃらに走るのも努力を要することではありますが、もう一度自らに問いかけをし、答えを探して考え抜かなければなりません。単なる改良にとどまらないブレイクスルーを成し遂げることが、私達自身をも真に成長させるだろうという予感がありました。
 私達にとっての最高の酒は、どのようなものでなければならないか。めざす目標は、世界の偉大な名酒に伍する、偉大な日本酒以外にありません。「偉大さ」とは文化の垣根をやすやすと乗り越えて自ずと伝わる普遍的な価値であり、特定の評価軸−例えば鑑評会の審査基準−を受け入れたときにだけ認められるというような狭小さがありません。私達は、既成の日本酒の枠を越えた、真に偉大な酒を造ろうと心に決めました。こうして私達の“偉大な酒プロジェクト”は始まったのです。

 私達には、日本酒業界の傾向に対する、ある危惧の念がありました。「最高の日本酒」の通念があまりにも金賞受賞酒に近づき過ぎているのではないか、という懸念です。本来はそれぞれの蔵元が自社にとっての「最高」を考えるべきところですが、公的に認証された金賞受賞酒というものが非常に具体性をもっているが故に、どうしても金賞受賞酒のスタイルをそのまま自社の目標に据えてしまうという傾向が見られる気がするのです。金賞受賞酒ももちろん、ひとつの立派なスタイルではありますが、唯一のスタイルではありません。そして私達が何よりも重視しているある種の“感銘”が、「最高」と呼ぶにはしばしば不十分に思われました。私達は金賞受賞酒の影を眼前から捨て去ることを、私達の出発点としました。
 私達にとっての「最高の酒」は、食の場において最高の感動と満足をもたらすものでなければならない、と考えました。食事の途中で飲み飽きし、酒を替えたくなるのは論外ですし、またメインディッシュに負けてしまうような酒でも困ります。世界に通用する日本酒の最高峰を目指すならば、その酒は決して飲み飽きることなく、飲み進むにつれて多様な姿を見せる奥深さをもたねばならず、また“華”があることは重要ですが、その華は繊細であるばかりでなく、通常料理人が最も精魂を込めるその日の主菜、肉料理や魚料理に余裕をもって対応できる力強さをも秘めていなければなりません。そして奥深さ、繊細さ、力強さを調和させる至高の調味料というべきは、“時”の存在です。時を経た程良い熟成感は、何にも優る天恵の美味ですが、これを得るためには熟成に耐える高貴な酒質をもっていなければなりません。私達のイメージは次第にかたまっていきました。それをなし得るのは生もと造り以外にない、と。

 仕込みに関する具体的な商品設計をするにあたって、私達はステレオタイプの観念と戦いました。
 「精米歩合を下げれば下げるほど、より高級な酒を得ることにつながる」のか?−答えは否、です。むしろ求める酒質にとって最適なバランスをもたらす地点に留まるべきであり、いたずらに精米歩合を下げることは酒質を単純化し、奥深い魅力を損なってしまいます。米粒を不均等に丸く削らざるをえない従来の精米法でなら、精米歩合を下げることで削り残しを改善する余地もありますが、本来的に精米ムラが極めて少ない超扁平精米技術を採用している弊社にとっては、安易に精米歩合を下げて得られるものはありません。
 「最先端のバイオテクノロジーで開発された、高香気性酵母がベスト」なのか?−これも疑わしいと言わねばなりません。残念ながら近年開発された高香気性酵母は、厳しく鮮度管理しながら短期間のうちに消費される酒に相応しく、時間の試練に耐えて大きく開花するようなタイプではありません。ひ弱な人工美ではなく、雄大な自然を感じさせる酒を醸すためには、むしろひときわ強健でたくましい酵母が必要なのです。高級酒に相応しい洗練と、野趣に富んだたくましいまでの発酵力と。実のところそのような酵母は、既存の酵母の中には容易に見つかりません。
 私達は、このほか、単純に味わいを削ぎ落とすことで淡麗な酒質をめざす方向性、香り生成の最大化のみをめざすような方向性から、慎重に距離をおきました。酒造りは、何かを単純に極大化したり、極小化したりすることの中に到達点があるのではありません。そこが難しいところですが、私達は自らの審美眼を信じて、最も美しいと感じた中庸なある時点で断を下さねばなりません。五感の鋭敏さよりもさらに大切な、美に対する見識というもの。それは生物的な五感がピークを過ぎた老年に至ってもますます高まりうるものであり、だからこそ私達の仕事には終わりがないのです。

 偉大な酒に到達するために私達が選んだ道は、お酒の中により大きな自然の力を導き入れるということです。酒杯の中に、凝縮された汲み尽くしがたい自然の豊饒さ、荘厳さ、そして力強さを表現したい。そのためには、造り手として能う限りの力を尽くしたその先に、人智を越えた、より複雑でより深遠な自然の力を導入する以外にない。それが私達の結論でした。
  お米の持つ潜在力を最大限引き出すために、私達は「粒選り」にこだわりました。最高級の山田錦にも、健全に登熟した米の中にわずかな未熟米など、不良米が含まれています。ただ、数千万粒の米の中から不良米を全てはじき出すという作業は、それまではさすがに試みたことはありませんでした。それを私達は実行したのです。米を削るよりも、米を生かす、ということは私達の大切なテーマでした。精米はもちろん、超扁平精米でなければなりません。真の意味で糠をムラなく除去できる精米は、超扁平精米以外にありません。そして弊社が誇る日本一の卓越技能で丹念に超扁平精米したあと、再び完全整粒と砕米とを選り分ける選別作業を繰り返しました。ふっくらと粒の揃った、ムラのない蒸米。いつものように甑で、強い火力で蒸し上げました。お酒を造るのにこれ以上の条件はありません。
  高級酒に相応しい洗練と、野趣に富んだたくましさを併せもつ酵母はないものか。無い物ねだりに見えたこの問いの答えは、生もとが持っていました。生もとにおける酵母の育成過程は、同時に容赦のない生存競争による自然淘汰の過程でもあります。酵母は安穏に育てられるどころか最も厳しい環境下におかれ、ひ弱な酵母、発酵力の劣った酵母などは全て淘汰されて、生き残った少数精鋭の強健な酵母のみ、子孫を残すことを許されるのです。この結果、生もとという仮借ない試練をくぐり抜けた酵母は、速醸もとの場合の数分の一の数でしかありませんが、選び抜かれ、鍛え抜かれて、あたかも別種の酵母のような強靱さを身に付けていきます。
 弊社には醪から採取された、幾つかの有望な吟醸用酵母が保管されています。私達は最良の酵母だけを選び出す生もとの選別能力、自然の叡智を信じ、単純に保存原株から酵母を使用するのではなく、実際の醪の中でひときわ美しい香りと長期熟成に耐えうるしっかりした複雑な味わいをもつ醪を選び、そこから酵母を採取して再び生もとの仕込みに使うという操作を繰り返しました。こうして今回の仕込みのための、粒選りの酵母群が生まれたのです。
 手綱は引き締めるのか、自然のままに任せるのか。吟醸醪においてこの判断は単純ではありませんが、私達が心掛けたことは、出来上がった醪には人為的コントロールの爪痕が刻まれているのではなく、何よりも湧き起こる自然の生命力が感じられるのでなければならないということです。もちろん醪の冷却はしっかりと行います。しかし長い醪の全日程を通して、常にそれをゆったりと押し戻してくる酵母たちの豊かな推進力を感じ続けることができました。

 上槽の日、私達は何と透明感のある、そして何と硬く大きなつぼみに出会ったことでしょうか。これでは容易に開花しそうにありません。生まれたばかりのこの新酒は、私達が知る限り最も遠くまで歩き続けるだろう、そして最も高い高みにまで到達するだろうと予見することができました。
これが、私達の最高峰、『妙花闌曲』の誕生の物語です。

Copyright (c) DAISHICHI SAKE BREWERY Co., Ltd.